緑が丘町公民館パソコンクラブ

2010年6月1日・2日

いろは丸記念館(右写真)
「いろは丸事件」は、坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」と、紀州藩の蒸気船「明光丸」が衝突し、「いろは丸」が沈没した事件。坂本龍馬は「紀州藩が悪い!」として、まずは鞆の浦で紀州藩側と徹底対決しました。 最後は、長崎に舞台を移して論戦が行われ、最終的に紀州藩側が賠償することになりましたが・・・どちらの航行に過失があったかについては、どうも坂本龍馬の方が分が悪いのでは?という研究もあります。鞆の浦で論戦が行われていた頃、坂本龍馬は紀州藩の暗殺の危険を避けるため、住居の屋根裏に潜んでいました。「いろは丸」記念館では、その部屋が再現され、彼の人形がいました。

10周年記念旅行

広島県福山市鞆の浦温泉 鷗風亭 へ到着 

大洲・内子へ

さ~楽しみにしていたごちそうランチ。大久保副会長、乾杯の音頭をお願いしま~す。
ビールが出てないよ。ごめんなさ~い、個人調達なんです。お茶でかんぱ~い?。それはないでしょ!!
鞆の浦名物「鯛の兜煮・鯛しゃぶ・鯛の刺身・天ぷら・茶碗蒸し・・・・お腹いっぱい。ごちそうさまでした。

1泊 3号車 ご一行様  私達だけハワイ到着?いえいえテラスで撮影

私達のパソコンクラブも早いもので平成22年6月25日で発足10周年を迎えます。
これを記念して、鞆の浦への日帰り旅行に79名。さらに足を延ばして道後温泉に泊まり、大洲・内子への一泊旅行へ44名の総勢123名参加いただき、賑やかに楽しく行ってまいりました。

鞆の浦 自由散策

広島県福山市南部に残る古い町並み、鞆の浦。鞆は「とも」と読み、古代から瀬戸内海航路の要所として発展してきました。室町時代には足利尊氏が後醍醐天皇に対しここで挙兵し、そして織田信長に追い出され、毛利家の庇護を受けた足利義昭が居住。さらに幕末には「いろは丸事件」発生に伴い、一時的に坂本龍馬達が立ち寄るなど、歴史的な人物とゆかりの大きい場所です。

港の風景(左写真)
福山藩が1811(文化8)年に築造した階段状桟橋と、現存する日本一の高さを誇る常夜燈

8時に公民館を出発
早いから公民館本館は開いていない・・って~
トイレが使えなかったんです
ごめんなさい

お待たせいたしました
さ~トイレ休憩

走れ!走れ!

道後温泉「椿館」での宴会は、「おてもやん」に始まり、野渡会長の演歌ありで賑やかに更けて行きます。

最後は「河内男節」に合わせて、総踊り。    ロビーでの「松山水軍太鼓」の迫力満点。腹に響いた。

来島海峡大橋 来島海峡をまたぎ四国・今治から大島へと渡るこの橋は 世界3連つり橋で、完成までに約9年の歳月がかかりました。 総延長4kmの三つの橋の雄大さには圧倒されます。

古い街並みがあちこちに残り、光と影の面白い光景になっている。右写真は「保命酒」のお店。
保命酒は鞆の浦に伝わる薬用酒。みりんをベースに漢方薬をつけ込み、滋養強壮に効果があるとされる。江戸後期の儒学者の頼山陽も愛飲されていたそうです。

福禅寺 真言宗の寺院で、朝鮮通信使が1711年に訪問した際、ここの客殿「対潮楼」から見た景色を日本一の風景(日東第一形勝)と絶賛。右下の船は竜馬の「いろは丸」を模した観光船 。
中央はレトロな望遠鏡。右はその望遠鏡で見た弁天島の風景。

吾妹子わぎもこが 見し鞆の浦の むろの木は
 常世にあれど 見し人ぞなき】大伴旅人
の歌碑

万葉秀歌といわれるこの歌は、730年(天平2年)大伴旅人が大宰府の役人の任期を終えて鞆の浦によった時の歌です。任地に向かうとき、妻の大伴郎女と神木のむろの木に海路の安全などを祈ったのに・・・728年(神亀5年)大宰府で最愛の妻を失った旅人の嘆きが伝わってきます

夏の魚「さより」越しに、弁天島を望む

日帰り 2号車 ご一行様

日帰り 1号車 ご一行様